純粋理性批判:続
- 作者: イマヌエル・カント,熊野純彦
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2012/01/20
- メディア: 単行本
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(Kritik der reinen Vernunft)
著者:イマヌエル・カント
[続き]
■前書き
人間の理性が担う諸問題についての古典的名著。
ライプニッツなどの存在論的形而上学と、
ヒュームの認識論的懐疑論の両方を継承し、
批判的に乗り越えた西洋哲学史上、重要な著作。
私たちは何を知り何を成すべきか...
また何を望む事が許されるのか...
■復習メモ
認識が対象を規定する
感性は対象を認識する受容作用・・・直感(感じたまま)
悟性は対象が何かを考える・・・概念化(意味づけ・カテゴライズ)
直感と概念の一致が経験的認識になるとした
ア・ポステリオリな認識・・・経験に基づいた認識
ア・プリオリな認識・・・経験に先立つ認識→普遍的・必然性を持つ
さらにア・プリオリな認識のなかのア・プリオリな総合判断が意義があるとした
物自体は対象のあるがままの姿・・・認識不可能
現象は対象が人間にあらわす姿・・・認識可能
悟性が判断を行う仕方をカテゴリーとして分類した
直感だけでなく悟性も対象成立の条件であるならその客観性は保証できるとした
認識の成立する条件は同時に対象が成立する条件である
■理性の本性
理性・・・判断された対象から推論にそって世界の全体像に迫ろうとする
物自体を認識しようとする形而上学は成立しない
理性はただ推論を完全性や全体性にいきつくまでやめないために
認識不可能なものを認識しようとした
理性は求める完全性を持った無制約者「魂」「自由」「神」
理性の本性を明らかにした
■アンチノミー論(二律背反)の自覚
正命題(テーゼ)と反対命題(アンチテーゼ)がともに成り立つ状態
・世界は空間・時間的に有限である
・世界は空間・時間的に無限である
これまでの神の視点にたってすべてを認識できるような考えは誤っている
人間の認識の有限性を自覚したうえで新たな形而上学を立てようとした
■実践理性批判
純粋理性批判・・・伝統的形而上学を否定した
実践理性批判・・・自らの形而上学の基礎を論じた
人間は認識能力を超えた「物自体」を認識できない
理論理性はアンチノミー論の中で自己矛盾に陥って物自体を認識できない
実践理性によってなら物自体を認識できる可能性があると考えた・・・
どうしたら物自体を認識できるのか?
道徳的意識にその解決の糸口を求めた
理性の事実として道徳法則の存在を否定できない
では万人に通用するような道徳法則とはいかなるものか?
■定言命法
普遍的な道徳法則のために「定言命法」という形式を考案した
「定言命法」は道徳法則の形式にして実践理性のア・プリオリな原理をさす
理論理性のカテゴリーに相当する・・・「〜すべし」
正しい行為は結果によって正しいのではない
道徳法則と合致するがゆえに正しい
(任意の目的に向かって人間の意識を規定しようとする
「〜なら〜せよ」の仮言命法は普遍性を持ち得ない)
■自由意志と認識
私たち人間の体は現象界に属し物質として空間に存在している
人間の行動が因果関係の法則に完全にしたがっているなら
人間は自由意志を持たない
因果関係に規定された行動をとるとは限らないので
人間に自由意志はたしかに備わっているようだ
ここに理論理性によって認識不可能とされていた
物自体への扉が開かれた・・・
そう物自体のひとつ「自由」は認識しうるのである
自らの道徳的意識を通して実践的立場から
物自体を理解できるとした
■仮言命法
「〜なら〜する」という快・不快の判断は経験からもたらされるために
道徳法則にはなり得ない
幸福も自愛の原理からもたらされるもので普遍性がないために
道徳法則にはなり得ない
意志が欲求から規定されることは意志の他律といい
自己の幸福のみを目指す事をよくないとした
■道徳的価値が認めれるもの「義務」
カントが唯一道徳的に価値があるとみなしたもの「義務」
意志の自律とは欲求から意志が規定されることなく
普遍的立法と格率のみで意志決定を行うことを良しとした
常にすべての人が格率とするような行動をとりなさい
(すべての人が格率とする行動は具体性が乏しいので
形式主義とも言われている・・・
道徳的世界を物自体としたことに原因があるかもしれない
認識論的主観主義に陥り中身を持てなくなってしまった・・・)
■実践理性
道徳法則にのっとって享受した幸福は道徳法則に反しないとした
徳と幸福が一致した最高善を求めることを良しとした
徳とは無条件に道徳法則を遵守することで
人間の実践理性は徳と幸福の一致を求めるが
生涯をかけても完全性を持ちうることはできないという
理性が最高善を目指すとき人間の意志は神のような完全性を持ちうる
完全にはなり得ないが完全性を求めて無限に近づくことはできる
このような無限の進行はさらに人間が人格的存在者として無限に存続する
魂の不滅へと通じると考えた
■最高善の実現と道徳的完全性
人間の力では道徳と幸福を一致させることができない
神という絶対者ならば可能である
最高善の実現のためには神の存在も必要になってくる
もちろん客観的に存在するといってはいない
必然的であっても結局は主観の要求するものである
実践理性の要請とした神と魂の存在も認めることができると考えた
■判断力批判
物自体の世界は超感性界であり自由に基づく法則の正解
現象界は感性界であり自然因果律によって規定される
どうやって統一されるのだろうか?
解決のために「自然の合目的性」をいう概念を打ち立てた
自然界の有機体の各器官はいかにも目的を持った構造をしている
判断力を規定的判断力と反省的判断力に分けた
規定的判断力だけど直感によって得た多様を悟性の規則に当てはめるときに使われる
反省的判断力は悟性からも理性からも独立した判断力
■反省的判断力と自然の合目的性
胃袋と植物の根の共通目的性など新たに普遍的共通を見いだしていく能力
有機体の各器官は合目的性を持っていると判断する
美しい(快)と感じるものは意にかなうという意味で合目的性を持っていると判断する
(また無限者論的立場の哲学へ戻っていった・・・)
ただ自然界の根底に目的が存在するといっておらず
あたかも自然界に目的が存在するように考えなければならないとした
あくまで人間論者的立場で語ろうとしていたと言える
「われわれは有限者であり、最高善を実現できない
だがだからこそ道徳的完全性を目指して
一日一日を道徳的に生きなければならない」
というメッセージが込められている